【球児の日記】福井商業高校野球部の体罰から見る「俺らの時代は…」

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体罰か教育か…高校野球の指導の難しさ

4日、東京都内で行われた日本学生野球協会による処分審査室会議で、体罰などを原因として9校の高校に謹慎などの処分が下された。
その中の1校に「福井商業高等学校野球部」の名前があった。

近年、話題に上がることが増えた「体罰」。その言葉が及ぼす「教育」への影響は…
時代の変化がもたらした高校野球の指導の難しさ。「俺らの時代は」が通用しないこのご時世に、指導者や教育者はどんな悩みを抱えているのか。

今回は、謹慎処分を受けた福井商業高の監督と面識のある福井商OBにこの件で感じた思いと、時代の流れによる指導の変化をあえて「俺らの時代は」という視点で話を聞いてきた。

「平手打ち」なんて普通だった

福井商業高等学校硬式野球部。
創部98年目の同校は、県内屈指の強豪公立校で現ヤクルトの中村悠平選手などを輩出している。燃えるようなユニフォームのマークから「炎のジャージー」とも呼ばれており、1984年から2003年までの20年連続で夏の県大会決勝に進出するなど実績も充分だ。

今から20年以上前、Xさん(仮名:取材に応じてくれた福井商OB)は福井商の主力として活躍していた。在学中、甲子園にも出場し高校球児にとって夢の舞台も経験している。

「まさかあの人が…」と今朝のニュースを見て、衝撃を受けたというXさん。体罰をするような監督ではなかったのだそうだ。体罰の内容は顎をつかみ、平手で頭を1回叩いたということだった。
高校時代、練習中の「平手打ち」なんて普通にあったというXさんは、このニュースで何を感じたのだろうか。



俺らも必死、監督も必死。

当時を思い出しながらXさんは言った。

「高校時代は、試合に出るために本気だった。周りが見えないくらい結果を出すのに必死だった。
同時に監督も勝つために必死だった。だからお互いにそんなこと考える暇がなかった。
怒られたり、叩かれたりしたら試合の結果で見返してやる。たったそれだけだった」

結果に対するハングリー精神が旺盛な部員が多かったとXさんは語る。
それが故、当時は「平手打ち」も𠮟咤激励の一つ、指導の一環として捉えていてその悔しさをバネに練習に励んでいたという。

しかし、Xさんは必死だったから何でもOKだというわけではなく、現在問題になっている体罰を肯定するわけでもなかった。

当時のそれを体罰と捉えなかったのは、もっと他の理由があるという。

 

時代は変われど「人と人」

「こうやって僕が話すとまるで今の高校生は必死にやってないと聞こえるかもしれないけど、そういうことを言っているわけではない。今の高校生だって必死にやっているし、単に、当時の自分の視野が狭かっただけなのかもしれない」

Xさんは話を続けた。

「時代は変わっていくもの。僕らの時代に良しとされていた野球理論も今じゃ全く役に立たないものだってあるしね。それと同じで教育や指導の姿も変わっていくもので、時代の流れとして体罰をやってしまえば罰せられるのは当たり前のこと」

意外な返答だった。昭和に生まれ「俺らの時代は」と語るからには、現状が異常だという返答を予想していたが「時代は流れたのだ」と変わっていくことを否定しなかった。
ただ、その中で変わらないものもあるとXさんは言う。

「どんなに時代が流れようと結局は『人と人』。誰にやられたか、それが体罰と言われるかどうかに関係しているような気はするかな。当時を思うとイライラすることもあったけど、自分と監督の間に共通の目標と信頼があった。監督が怖かったのもあったかもしれないけどね(笑)」

“愛の鞭”という言葉があるが、鞭を振るう側がいくら愛を持っていても受ける側が愛を感じなければ結局その愛は成立しないことになる。恋愛でもよく見る片想いのようなもので、それもエスカレートすればストーカーとして罰せられる。

Xさんは、やる側と受ける側の関係性が非常に重要だという。



“体罰0”の時代へ

知人の身に起こった出来事でも、時代の原則に従えば今回の体罰における謹慎は然るべきことだというXさん。程度が軽かろうとやったという事実に間違いはない。もう「俺らの時代」の高校野球は終わったのだと。

しかし、その上で教育と体罰、指導する側と教わる側の関係は非常に難しいという。

組織の統制や規律を守ることを徹底させる上で、どのような弊害が出てくるのだろうか。また、”体罰0″を実現するには何が必要なのだろうか。

 

教育と体罰

教育者、特に「先生」と言われる立場の人々はこの問題に直面しがちだ。

どこの時代にも屁理屈を並べて言うことを聞かない学生は存在し、度々先生たちを困らせている。
そんな時に手っ取り早く言うことを聞いてもらうには、「暴力と恐怖による統制=体罰」となってくる。人間も動物に変わりないので、恐怖に抗うことは非常に難しいからだ。

ただ、この組織統制は非常にまずい側面を持ち合わせている。
それは、信頼関係が築けないこと、憎悪や不信感を募らせることにつながるからだ。

体罰による「しつけ」は楽だ。
Xさんは、その潜在意識から教育の場に蔓延る体罰を切り離すことができないのだと考えている。

そしてもう一つ、Xさんはいわゆる「不良」と言われる学生たちに対する接し方が難しいのも体罰がなくならない原因ではないかと考える。多くの人に迷惑をかけたり、犯罪すれすれのことをした場合、なりふり構っていられなくなって…というのも、確かに想像できなくはない。

指導する側の気持ちのコントロールもさることながら、指導される側も聞く気がなければ成り立たないのが指導であり、非常に難しいとXさんは語る。

 

心から分かってもらう指導の難しさ

Xさんは会社で多くの部下を抱えているが、その部下に自分の指導の意図を汲み取ってもらい、心から理解してもらうことは相当難しいという。

特に「やる気のない社員」を本気にさせるのに頭を悩ませることが多く、言葉で説明しても聞く気がないのでほとんど進展がないという。過去には手が出そうになるくらいひどい態度の部下もいたそうだ。
だが、そんな時も手を出しては本当の理解は得られないと平常心を保ち、彼らがなぜ聞いてくれないかを考え、こちらに気持ちを向けてもらうことに徹し、今では部下との関係性も非常に良好だという。

今回の監督も同じように相対した選手は「やる気のない選手」だった。
監督がどんなに熱い気持ちをぶつけても、聞いてもらえなかったのではないだろうか。そして、今回の件に至ってしまったと考えられるが、そういう時こそ一歩引いて、気持ちをこちらに向けてもらえるように徹するべきだったかもしれない。

綺麗事かもしれないが、上司と部下も、先生と生徒も、監督と選手も同じ人間であることには変わりない。自分の立場に置き換え、自分ならどうされれば話を聞こうと思えるだろうと考えることが必要だ。

その行為は地味で現状が変わる保証もないが、指導する側とされる側の相互理解がなければ教育の場から体罰をなくすことはできないだろう。



教育の場「高校野球」のこれから

日々、様々なジャンルのメディアに取り上げられるようになった高校野球界。

しかし、それは華やかなニュースばかりではなく、一昨日の2017年夏の甲子園優勝の花咲徳栄元主将による強盗致傷などのショッキングなニュースもある。教育の場である高校野球も、体罰以外に考えることはたくさんありそうだ。

今回取材させていただいたXさんも、「僕らの時代は許されたものが許されなくなり、また時代の流れよってそれも変化する。いつまでも体罰、体罰…と言ってられない」と過去の甲子園出場の栄光よりもこれから先を見据えていた。

高校野球が、”体罰0”は当たり前の人間性を育む教育の場となるにはどれだけの時間がかかるかはわからない。だが、人々がそれに理解を示し、取り組まない限り実現もない。
筆者の力はとんでもなく小さいが、それでも微力ながら行動し続けていく。

 

 

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