【球児の日記】怪我知らずの男に起きた悲劇

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怪我とは無縁!そんな野球人生が一転…

怪我。それは、野球だけでなくスポーツをやっている全ての人たちにとって、最も選手生命を脅かす要素の一つであり、最もリスクマネジメントをしたいものの一つである。

数々の天才の異名を持つイチロー氏も、打撃・守備・走塁以上に天才だと評価されたのは、「怪我をしないこと」だった。

今回は、甲子園出場30回以上を誇るとある公立校のOBに、怪我で一転した自身の高校野球人生について語ってもらった。

故障歴0の男に何が…⁉

名門公立校出身のI(仮名)さん。
自身も甲子園出場の経験があり、当時は「3番・右翼」としてチームを支える中軸だった。

そんなチームの主力は怪我知らずで、華やかな3年間を終えたように見えた。

しかし、Iさんはこの高校3年間で、野球人生が大きく変わる怪我をしてしまっていたのだ。



本当は”投手で3番”

「3番・右翼」で活躍したIさん。
しかし、Iさんにとっての右翼手はいわば副業で本業は投手だったのだ。

もう、皆さんも気付いているのではないだろうか?

そう、Iさんはもともと「3番・投手」で、怪我によりメインポジションである投手を断念し、サブポジションの右翼手に専念することになったのだ。

 

投手から右翼手へ…その原因は?

ではなぜ、Iさんは投手を諦めて右翼手に専念することになってしまったのだろうか。

その原因は、肩の怪我だった。
そしてこの怪我は、野球人生における最初で最後の怪我になった。

新チームを迎えた2年冬のある日の練習で、それは起きた。
ケースノックの最中、外野から本塁への送球だった。

肩に自信があったIさんは、タッチアップの体勢に入った走者を補殺すべく落下点よりやや後ろから助走をつけて捕球に入った。ベストな形で捕球したIさんは、その勢いのまま本塁へ理想的な送球をしたはずだった。

ブチッ…‼

矢のような送球は、嫌な音と共に本塁へダイレクト送球され補殺が完了した。
同時に、肩全体に倦怠感に似た重さが鈍い痛みと共にゆっくり広がった。

腱板損傷(けんばんそんしょう)

Iさんは、この日のケースノックで野球肩の一つである「腱板損傷」という怪我をしてしまった。
「腱板損傷」とは、肩の中の棘上筋、棘下筋、小円筋、肩甲下筋という4つの筋肉の腱の複合体である腱板が、投球動作などの動きにより周りの圧迫・摩擦を受けることで起こる怪我のことだ。

今回のケースは、Iさんが行った補殺での送球が原因で起こった。
いつもと変わらぬプレーをいつも通りに行った、たったそれだけなのにこの怪我は起こってしまったのだ。

この日以来、肩の痛みや違和感で満足いく投球ができなくなったIさんは投手を諦めることになる。

監督やコーチにも相談できず、名目は「チームのために右翼手に専念することが、最善の選択」という結論を自らが出したというものだった。本心では、「ライトじゃなくピッチャーがしたい!」と思うも、怪我を誰にも言っていない以上そんな本心を語ることはできなかった。それよりも、出場機会が減ってしまうことをIさんは恐れた。

 

手にできなかったエースナンバー

当時のIさんのチームは、左のIさんと右の同級生J(仮名)氏の先発が基本で、左右の本格派による二枚看板だった。

県内でも有名だった二枚看板はメディアからの注目度も高く、2人は日々エースの座を争い切磋琢磨した。
ただ、メディアはJ氏の方をよく取り上げ、Iさんはその脇役という扱いだった。

しかし、監督やチームメイトは登板数や防御率が優れているIさんに対する信頼を寄せていて、県大会決勝のマウンドを任されることもしばしばあった。制球力が高く安定感抜群のIさんと、奪三振能力は高いがやや安定感に欠けるJ氏のチーム内からの信頼は、安定感の高さで差が出ていた。
監督からは個別に謝罪と激励の言葉もあったようだ。

「チームのイメージという理由でJに背番号『1』を渡しているのは非常に申し訳ないが、Iの事を信頼してマウンドを託しているのは信じて欲しい。今後も基本的に大事なマウンドは任せるから、よろしく頼む」

そう言われたが、負けず嫌いのIさんは圧倒的な実力と結果を示せば、メディアの評価も覆すことができると考え練習に励んでいた。そんな矢先の怪我だった。

投球の際に違和感を感じるという名目で病院に行ったIさんは、「疲労により当分の投球を控えるように」と診断されたと本当のことを伏せ監督に伝えた。監督からは「何やってんだ!馬鹿野郎‼」とげんこつされてしまった。 ※げんこつが当たり前にあった時のことです

そして、「大事な時期にノースローで練習できないため、自分は右翼手として出場する方がチームの勝利貢献できる」と監督に伝え、投手として一線を退くことになった。その後の3年春の県大会からIさんは「3番・右翼」としての出場がメインとなった。

どんなライバルも力をつけてねじ伏せてきたIさん。
だが、その武器である肩を失った今、違う武器で勝負するしかなかった。

「エースナンバーを背負い甲子園のマウンドに立つ」という夢は、腱板損傷という肩の怪我で儚く散ってしまった…



怪我は突然に

たった1回の怪我により、野球人生が大きく変わってしまったIさん。

怪我はしないに越したことはないという再認識と同時に、自分の怪我に対する甘い考えを反省したそうだ。その甘い考えとは何だったのだろうか。

 

「怪我しないから」は通用しない

よく「俺は○○を怪我したから」と武勇伝のように語る選手がいる。Iさんはそんな選手の気持ちが理解できないし、正直ださいと思っていた。そういう選手は「俺は怪我したことないから」と一蹴してやったと、Iさん。

怪我知らずのIさんは、怪我の仕方を教えて欲しいというほどで自分の体は「怪我をしない体」だと思っていた。

故に、プロ野球で怪我しない選手が評価されることがよくわからなかったし、怪我しないのが当然だろうと思っていた。怪我で自分の野球人生が変わってしまうまでは…

怪我をしてからというもの、怪我への見方が大きく変わった。

日常のプレーでも、些細なことがきっかけで怪我につながってしまう。
あの日は、タッチアップでの本塁送球というどこにでもあるプレーだったが、冬の寒さか準備不足か、どちらにせよ自分の甘い考えが引き起こした怪我だと考えた。

怪我をして数年後、イチロー氏が「大切なのは怪我をしないように普段から調整することです」とコメントしたのを見て、「怪我をしないことに驕っていた自分」と「怪我をしなくても常に細心の注意を払って調整し続けたイチロー氏」との間に、プロになれなかった自分に足りなかったプロフェッショナルの精神を感じた。

「怪我しないから」は通用しない。
いつ何時でも潜んでいる怪我のリスクを考え、それを低減させるのがプロフェッショナル。そう考え方を改めたIさんは、現在、怪我だけでなく私生活からリスクマネジメントを心がけ、一家の大黒柱として子供たちの安全な生活を守っている。

 

日頃のケアが大切

自分の甘い考えがもたらした怪我の経験を反省したIさんは、日頃のケアが足りてなかったとも思っているという。

日々のストレッチや体のケアというものは、どうにもさぼりがちなものである。怪我のなかったIさんは、余計にそのケアの重要性を軽く見ていた。しかし、実際に怪我をしてみて得た教訓があるという。

「日々の積み重ねというのは、練習の事だけと思っていました。でも、自分が怪我をして思ったのは、『練習やトレーニング後のケアも立派な日々の積み重ね』であるということです。学生時代は練習に明け暮れてそこが見えなくなることが多いですが、現在は簡単に情報が手に入る世の中ですから、僕のこの声も、全国の球児たちに届いて欲しいですね」

「ケアも積み重ね」それを全国の球児がしっかりと把握し、怪我で夢を絶たれるような球児が一人でも減ってくれれば、とIさんは語る。たった1回の怪我で、投手を諦めることになったIさんだからこそ感じる思いがそこにあった。



まとめ

かねてより怪我をしないことの重要性は語られてきた。
しかし、実際に怪我をしないとわからないのもまた事実。

ただ、怪我においては、怪我をしてしまってからでは手遅れである。だからこそ、プロの世界で怪我をしない選手は重宝されるのである。

今回のIさんにおいても、実際に怪我をして手遅れになってからその重要性に気付いた一例である。

なかなか、人から聞いた体験談や想像だけではわかりにくいのが人間というものだが、これからの未来がある球児たちの尊い夢が一つの怪我で台無しになってしまわないように、日々の練習と同時に体のケアが重要だと声を大にして発信していくのが”怪我の経験者”の仕事だ。

筆者も肘を故障して骨が変形してしまっているが、現役を引退した今も痛みと共に生活している。

「知らぬが仏」とも言うが、知らなくてもいい苦痛は知らないに越したことはないだろう。

 

 

 

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