【球児の日記】あの日いるはずだった甲子園

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失われた背番号『12』

「ワアァーーーーー!!!」
透き通った晴天に大歓声が響き渡る。
目の前でキャッチボールをしている背番号『12』は地方大会で自分が付けていた背番号。それを今、私はアルプススタンドから見ている。

順調すぎた野球人生

小学校時代は無敵という言葉が相応しいほどに、敵がいなかった。誰よりも上手い自信があった。中学校でその差は詰められたが、それでもまだ自分と他では実力差があった。それは、高校入学後も変わらず、自分が1番であり続けるものだと、そう思った。



1年秋で掴んだレギュラー

1年秋、監督の勧めで外野をするようになりレギュラーを掴み、背番号『12』をもらった。
本業は投手だったため投げたい気持ちもあったが、とにかく1年生の間にレギュラーを掴めたことは良かった。背番号が一桁ではない悔しさはあるが、順調な高校野球の一歩を踏み出すことができた。そう思えた。

秋の県大会、自らの活躍もあり見事優勝を収めセンバツへの切符を手にした。投手兼外野手としてのセンバツ出場を掴み取った。誰もがそう信じた。いや、今となってはそう信じていたのは自分とその身内だけだったのかもしれない。

 

初めての挫折

センバツが決定した後のある日の練習後、監督に呼ばれた。自分の甲子園での起用法についての話かと思い、急いで監督のもとへ向かった。

「来たか。少し、話がある」

待っていた。自分の起用法についての話し合いに違いない。

「すまないがベンチから外させてもらう」

ベンチから外れる…?そんな起用法を聞きに来たんじゃない。グラウンドで、自分をどう使うかを聞きに来たんだ。

「新3年生の中から1人、頑張ってきた者をベンチに入れてやりたい。お前はまだ1年、いや新2年だ。チャンスはまだある。しかし、彼らはこれが最後かもしれない。申し訳ないが変わってやってくれ」

冗談じゃない!自分だってここまで頑張ってきた。チームに貢献したはずだ‼それを、そんな情けで変更するなんてどうかしている。

「明日、背番号『12』を持ってきてくれ」

…そうか。そういうことか。自分がいなくてもこのチームは勝てるんだ。どうかしているんじゃない。自分に力が足りていないんだ。圧倒的な力が。どうかしているのは自分の方だ。いつまでも無敵だと自惚れていた。

翌日、背番号『12』を監督のもとへ持って行った。
背番号を監督に渡す瞬間、自分の中で何かが音を立てて折れるのがわかった。

 

一人歩きの横断幕

地元では、センバツ出場決定の吉報を受け、自分の名前がでかでかと入った横断幕が張り出された。背番号『12』、二桁の中でも比較的若い番号の自分がベンチを外れているなど、知る由もなかった。

それから程なくして、地元の人々は甲子園に訪れてから、自分の姿がグラウンドにないということを知ることになる。

地元からのヒーローの誕生を祝い作られた横断幕は、応援で大多数の人がいなくなった町の片隅で、静かに揺れた。



永遠の2番手

甲子園はあっけなく終わった。
強豪同士の戦いでも、暖かい地域で練習や試合が満足にできた県の代表と、雪国で満足に練習もできていない県の代表では試合勘が違いすぎた。

初めての挫折を味わい、立ち直り方を知らない私はその夏を「2番手」投手として迎えた。

 

プロになれないと悟った17歳の夏

打っても良し、守っても良し、走っても良し…この言葉は彼にピッタリだった。
この春から新入生で入ってきた彼は、野球のレベルの次元が違った。「プロ注目選手」として取り上げられ、入学後すぐにレギュラーとして活躍した。型にハマらない打撃と、観る人を魅了する華麗な守備は中堅で羽ばたいていた。

そして、悟った。「自分はプロになれない」存在なのだと。

少し前まで自分も走攻守・三拍子そろった選手だと思っていたが、ただ全てが平均より少し上なだけで突出したところのない器用貧乏だと気付いた。本当にプロになる選手は、人にない何かが突出している選手か全ての能力が他を圧倒している選手のどちらかだと知った。

後者のような存在だった後輩は、なぜか自分に懐いて来た。そのため、余計にプロになる選手の生態を間近で感じざるを得なくなった。

その予感は見事に的中し、後輩は卒業後、広島東洋カープに入団し活躍した。

 

立つことのないマウンド

それでも、1年から投げている自分がこのチームのエースになり、甲子園のマウンドに立つのだ。背番号『1』を背負いチームを勝利に導くのだと信じた。1年秋の挫折から、結果にこだわり努力するようになった。ひたすら練習を重ねて勝利に貢献した。

だが、エースナンバーは自分ではない他の同級生が背負うことになった。

彼より抑えた。大会の大事な場面でも結果を残した。しかし、がむしゃらに努力するだけでは届かないものがあった。正しい努力、努力の方向性を間違っていたのだ。安定感抜群の投手として認められたが、周りからエースとして求められているものがすっぽりと抜け落ちていた。

努力をすれば届くと信じた甲子園のマウンド。結局、その場に立つことなく3年間の高校野球生活を終えた。

「努力は人を裏切らない」ただ、それは正しい努力をした時に限って言える言葉だ。全く違うところを向いて努力していては目標は叶えられない。努力しても思った通りの結果が出ないのは、努力が人を裏切っているのではない。なぜなら、そんな時いつもそっぽを向いているのは我々、人の方なのだから。

 

あの時に戻ることができたら…

あの時、自惚れることなくもっと真摯に野球と向き合っていたら、努力の方向性を間違えることなく練習に取り組めていたら、自分はプロになれていただろうか。

答えはおそらく「NO」だ。

あの時に戻れたらと回想している時点で、そこで挫折を学ぶ宿命にあったのだ。
ただ、そうだとしても、あの時に戻ることができたら…そう思ってしまう自分がいる。



あれからとこれから

あれからというもの、正しい努力ができているのか常に考えるようになった。
これまでの野球人生を振り返ると、あの「無敵だと思えた時代は良かった」と過去に戻りたい時がある。そして、もう迎えることのない絶頂への渇望が、今の自分への戒めとなっている。

これからは社会人として、自分の人生は常にベストでありたい。
過去に戻りたいと願うのは、もうすでにベストではない状態、つまり人生の下り坂に差し掛かっているからだ。だからどんなに年老いても、死ぬまで昨日より今日の自分の方がいいと思えるように努力を積み重ねていきたい。

挫折したあの日、高校野球で野球人生の下り坂に差し掛かってしまった経験が、今の自分の向かうべき正しい道を照らしてくれる。

今日もまた、人生のベストを更新できた。そう心から思っている。

 

まとめ

慢心から挫折へ、努力の方向性の違い…そんな過去から、常にベストを更新し続ける生き方を学んだ一人の球児。そんな彼は今、日本の経済を世界に広げることを目標に事業を展開する実業家になっている。

今も野球だけはあの頃が良かったと思う日があるそうだ。しかし、人生においてその時に戻りたいという感情は一切なく、これからの展望が楽しみであり毎日が学びの連続だという。

順風満帆だった野球人生から一転。だが、それも必要な挫折で人生のバイブルを手に入れた瞬間だった。彼は「何はともあれ、上手くいき過ぎていた野球人生にちょうどいいスパイスだったかもしれない」と苦笑いしていたが、「あ~、でもやっぱり悔しい!」と無邪気に悔しがっていた。

筆者は、この悔しさこそ今の彼の原動力と人生の豊かさの源なのだろうと分析した。

夢だった甲子園のマウンドには立てなかったかもしれないが、彼はもっと大切な人生のステージにこれから立っていくに違いない。

 

 

 

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