【球児の日記】海底のプロの器

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二度と陸に上がることのない才能

「皆様、本日はお越しいただきありがとうございました。息子もこれだけ多くの人に見送られ、大変喜んでいると思います…。息子は、野球が大好きで、これからも…これからも………」

大学4年の夏、後輩が天国に旅立った。

突然の訃報

春のリーグ戦が終わり、大学生活最後のシーズンを迎える。
チームは秋のリーグ戦に向け、春の疲れを取るべく1週間の短い夏休みに入っていた。

それでも、週1回の休みが当たり前だった自分たちからすると長期休暇で、それぞれ実家に帰ったり地元の友人に会ったりして、自分の近況を報告したり今後の目標について話したり、心身ともにリフレッシュするには申し分ない期間だった。

そう、あの訃報がなければ。

大学最後の夏休みは、きつかった高校時代の夏休みの練習で感じた以上に、「夏休みがなかったら良かったのに」と、強く、強く思った。

 

23時の着信音

LINEの音がする。
こんな時間に連絡が来るのも大学生なら珍しい事ではないだろう。ただ、その連絡に違和感を感じたのは野球部の連絡網だったからだ。この時間、しかも休暇中に連絡があるなんてことはなかった。あるとすれば、休みが終わる前日に練習再開に関する連絡くらいだった。

「なんだろう…」

嫌な予感がよぎった。
野球部が、休みの間に羽目を外し過ぎて事件になることは度々ニュースで見る。自分が所属した野球部では未だにないが、とうとう起こってしまったのかと恐る恐るメッセージを開いた。

『本日、K(仮名)が亡くなりました。
追って詳細と葬儀の日程のご連絡をいたします』

羽目を外したとかそんなかわいいものではなかった。人の命が一つ、亡くなってしまっていた。

この日ほど、いつもふざけたことしか言わない面子たちの笑えない冗談であれと願った日はない。
誰か、何か言ってくれと必死に願い続けたが、誰も返信する者はいなかった。

次に連絡網のグループに投稿されたメッセージは、葬儀の連絡だった。

 

その才能は海の底へ

高校時代の友達と約半年振りにあったKは、海水浴に誘われた。
体調はあまり優れなかったが、久々に会う旧友たちと積もる話もありそのまま海へ向かった。

海に着くと、みんなで少し沖に浮いているイカダを目指して泳いだ。
イカダで一休憩を終えた後、浜辺に向かって泳いで帰った。

しかし、浜辺に着いた時Kはいなかった。

数十分後、イカダから数メートル離れた場所に沈んでいたKが発見された。
すぐさま病院へ運ばれたが、その時にはもう手遅れだった。

 

絵に描いたような良いバッター

「あの子、良いバッターだね」

関西の名門校からスポーツ推薦で入学してきたKを初めて見た時そう思った。
プロのスカウトが、成長が楽しみだと目を光らせるのも良くわかる。

Kは、入学後すぐA(いわゆる1軍)に合流するとシュアな打撃で結果を残した。
惜しくも春のリーグ戦でのベンチ入りとはならなかったが、甲子園を沸かせた打撃は本物だった。

実際に自分も紅白戦でしっかり打たれた。

2死2塁、打席はK。カウントは2ストライク1ボール。
ここを0に抑えれば、3回無失点で首脳陣にいいアピールになる。
抑えられるという自信に溢れていた。

セットポジションから投じたフォークはしっかりと指にかかり、最高の軌道を描いて沈んで行った。左バッターのアウトコース、ストライクからボールへ、ややシンカー気味に落としたフォークを捉えられたことは一度もなかった。このゾーンに入った時は、いつも投球と同時に三振の手応えがあった。

「これで三振だ」

パカーンッ!!!

強い衝撃音を残して、打球はショートの頭上を越えセンター前に落ちた。
入学したての1年生だと侮っていたわけではない。コースも高さも完璧。ワンバウンドすれすれのフォークを崩された体勢から前に出ようとする上体を堪え、右半身で壁を作りヘッドを走らせボールをバットの面で捉えた。

右のリストを柔軟に使い、最後までヘッドを落とすことなく振り抜いたことで、タイミングをずらされたにもかかわらず生きた打球をセンター前に運んでいった。
見事。ただその一言に尽きる一打に、人生で初めて打たれて笑みがこぼれた。

この日、Kのタイムリーで1点を失うも後続を断ち、3回1失点で紅白戦を終えた。

「ナイスバッティング。フォークも頭にあったのか?」
「いいえ、全くなかったのですが上手く体が反応してくれて弾き返すことができました。完全にタイミングを外されていたので、まぐれに近いですけど…」

そう言うとKは黙々と打撃練習に打ち込んだ。
紅白戦では5打数4安打3打点。しかし、驕ることなく自主練習にもしっかり取り組んでいた。非常に謙虚で、学年をまとめるリーダーシップも備わっていた。

本当に絵に描いたような良い選手だった。



別れの日

この日、気温は35℃を超えた。
容赦なく照り付ける太陽の下、滴る汗を拭きながら制服のブレザーを羽織りお別れの場所へ向かった。

 

湧かぬ実感

喪服と制服の人であふれる会場は、その人数とは裏腹に静寂に包まれていた。
思えば中学以来、葬式というものに出ていない。静かなことが当たり前の認識すら忘れてしまう程に、葬式は自分から遠い存在となっていた。

会場を少し歩いてみる。

Kが使っていたグラブ、バット、高校時代に表彰された数々の功績…
実感がない。本当に彼がもういないのだという実感が。
会場の一番前には、彼の遺影と棺がある。あそこまで行けば、実感が湧くのだろうか。

しかし、そこに歩を歩めようとするのを自身の体が酷く拒んだ。会場の一番後ろの方、彼が眠る場所から一番遠い場所から動けなくなっていた。

葬儀が始まった。

お経が聞こえる。どこの宗派だろうか、聞いたことがなかった。
誰かがすすり泣く声が聞こえる。そりゃ葬式だからな。泣いて当たり前だ。
それでもKが亡くなった実感は全くなかった。

彼の高校時代の応援歌が流れ、旧友たちがKにエールを送る。
こんなにも悲しみに溢れた応援歌を、私は知らない。

親族の方々の挨拶も終わり、会場が涙に包まれる。
なのに、やはり自分には実感がなかった。あのフォークを打たれた感覚は痛いほど頭に残っているのに、Kの死をまだ感じることができなかった。

結局、実感が湧かぬまま葬儀は終わりを迎えようとしていた。

 

それぞれの向かう先

葬儀の最後、Kが眠る棺に花を添えるため、会場の係の人から1人1輪の花を渡された。最後まで、Kの死の実感はなく、虚無感だけが心に残った。

順番に花を添えていく。
自分の前に並んでいた人たちが、1人、また1人とKの棺の下へと向かい花を添えていった。

程なくして自分の番がやって来た。

「これで最後か」

そう思って、ゆっくりと歩き始めた。次第に目の前が曇ってきた。
何だろう、コンタクトのノリが悪いのだろうか。何か、息もしづらいな。あれ、真っ直ぐ歩けないや。前が見えない。呼吸が上手くできない…

ポツリ、ポツリと花が濡れた。
一歩ずつKに近付いて行く度に、涙が流れ出て、嗚咽し、まともに進むことができなくなっていた。

特別仲が良かったわけでも、付きっ切りで面倒を見た後輩でもない。ただ1回、本気で魂をぶつけ合っただけだ。Kだって、自分に対して特別な感情なんて抱いていなかったはず。なのに…、心はその魂の形を忘れておらず、頭は打たれた瞬間の記憶を鮮明に覚えており、仲間を亡くしたという現実が重く、ゆっくりとのしかかってきた。

「お前、本当に逝っちまってたんだな…」

棺の中で眠るKを見て、さらに涙は溢れ出た。
やっと理解できた。彼の死を。そして、それを受け入れたくなかった自分を。

葬儀を終え、火葬場へと向かうKを見送るため会場の外に整列した。
Kのお母さんが、出発前に参列した一同へ向けて最後の挨拶のため、口を開いた。

「野球が大好きな息子でした。野球を取り上げてしまったら、何も残らないのではないかと思うくらいに野球一筋で生きていました。こうして集まってくださった皆様とのご縁も、野球が息子に与えてくれた大切なご縁でございます。

皆様、本日は息子のために、息子の最後を見届けるために、暑い中お越しいただきありがとうございました。息子もこれだけ多くの人に見送られ、大変喜んでいると思います…。息子が大好きな野球を続けてくることができたのも、皆さまのおかげだと思っております。だから、これからも…これからも…息子がグラウンドでプレーすると思って…するものだと思っていました…。なのに…息子はもう…。

どうか、どうか皆様だけは、息子が愛した野球を最後まで愛してください。息子ができなかった分も、プレーしてやってください。息子の夢見た舞台へ、息子の魂を連れて行ってやってください…」

お母さんはそのまま泣き崩れた。

青く澄んだ空の色も認識できないほどに、目の前は真っ暗になった。
ただ、火葬場に向かう霊柩車の形だけが、くっきりと影法師のように瞼の裏に焼き付いた。

 

それから数ヶ月後、チームはリーグ戦優勝を果たし神宮の切符を手にした。
神宮は、お母さんが言った「息子が夢見た舞台」かどうかはわからない。ただ、それでも今自分たちが贈ることのできる最高の花束を、天国のKに届けることができた。そう感じている。

 

まとめ

明日は我が身。
まるで、その言葉の再現と言わざるを得ないような体験。

毎年、何件もの海難事故が起こっているが自分の身の回りで起きようとは、ましてやチームメイトの身に降りかかろうとは思ってなかった、とある大学球児。そんな彼が身をもって体験し、その後輩の死が毎日を全力で生きる大切さを教えてくれた。

結果、チームはこの一件で団結力が高まり神宮行きを決めたが、失ったものの代償が大きすぎたのもまた事実。

野球ができること、ひいては生きていることに感謝を忘れず、日々を過ごしていきたい。

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